Immanuel Kant氏は一道をたどれば光が見えてくるだと語った。
「人間は何ができるのか」いや、正しいのはこちらでしょ。
「私は何ができるのか」もっと上げると
「ひよこは偉大な精神の道に辿り着けるのか」
今迄通りの世界だったらこんなに悩む必要はなかった。21世紀が前のままだったら悩まなかった。そして私の道が決まっていたら工夫しなかった。普通の大学生なのに無駄に実存に興味があってのものだ。悩むべきものだから悩むしかなかった。
私は偉大な精神を持つ人間になりたい。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、フォン・ノイマン、アインシュタイン、チャールズ・ダーウィン、Jeff Dean(Googleの首席科学者)、モーツァルト、ベートベン、ショパン等。何個の言語にも流暢した歴史学者アーノルド・J・トインビーさんにもなりたい。
心から愛することに一筋になればありうるかもしれない。そうなったら私個人にとっても、家族にとっても、社会にとっても嬉しいことだろう。
今あの偉大な精神になれると確言するのはできないが、いずれはその近くに行けると思う。問題はここからだ。
そのうちAIが私より偉大な精神になったらどうするか。今そのあたりにいる人は構わないが、赤ん坊にすぎない、苦労することが山ほどあるはずの私は、そこに歩けばいいのか。走ればいいのか。私が走るより、AIが自動車で向くのが早いのではないか。
生き残るための仕事を悩むならそれは簡単なことだ。社会の道を選ぶので済む。道がない「偉大さ」に行くのは自分で作るしかない。
AIが学習の側面で人間より優れると、それが明白になるとひよこの人の価値は劣ることになる。仕事ならば、彼らよりAIを訓練すればいいではないか。偉大な精神も、彼らよりAIを訓練すればいいのでは。
真似した程度ではなく、本当のAIソクラテス、AIアインシュタインが人間を遥かに上回ることになればどうなんだろう。更にAI、ソクラテス+アインシュタイン+ショパン+夏目漱石…を交ぜたAIが出たらどうなるだろ。OpenAIのビデオ生成AI「Sora」を見るとそのうち出てくるかもしれない、いずれは出てくる。まずは仕事に関してはAIに任せる日が遠くではない。
まだ私は何かを学んで何かを作り出すことしか出来ないし、知らない。早くこの時期が過ぎたらいいな。
現代社会、実践に適用できるように、雲を掴まない勉強をする。音楽、数学、文学、ドイツ語、なんでも適用さえすればいい勉強になるだろ。