ぐちゃぐちゃ倉庫

働くのはごめん、読むのもごめん、妄想オッケー。人類の救援が最終目的。

星色夜空 – いえろ~ぜぶら、電開製作所 ピアノカバー

youtu.be

musescore.com

drive.google.comWAVファイルと譜面PDFです。

 

二日の間一生懸命に作りました。歌詞が美しすぎて絶対完成させたいと思いました。

 

星が広がる空

ーここでだっだらだだったとトリルが鳴る部分からいいですね。最初の部分から好き。

 

目に見えるものは
全部 愛おしくて
耳に届く音は 
何もかも 美しい

ーなんて美しい歌詞、言葉でしょう。正しく愛しい響きです。

왜 나는 이렇게 교육받지 못했는가

왜 나는 이렇게 교육받지 못했는가.
 나는 내가 태어나고자 하는 의지로 태어난 것이 아니다. 나는 태어나고, 그제서야 태어났음을 알게 되었다.
 유소년기의 이야기를 하자 하니 체력이 모자라니 넘어가겠다. 나는 지금, 현재의 이야기를 하고 싶다.
 태어났음을 알았고, 무언가를 좋아한다는 것도 깨달았다. 나는 음악 감상하기를 즐긴다. 음이 들려오면, 리듬이 느껴지면, 무언가 꿈틀대는 그것이 느껴지면, 나는 내 안의 무언가가 기뻐서 움찔거린다는 것을 인지하고 있다. 글도 마찬가지로...
 이것은 지극히 내 개인의 문제, 일반적이라고 보기 어렵고, 추상화하기 어려운 '나'의 문제다. 나 혼자서 이 모든 것이 가능했다면 답을 구하고자 시도조차 하지 않았다. 문제가 된 것은 '나'는 이 우주에, 이 은하에, 이 행성에, 그리고 이 국가에, 그리고 이 사회에 속해 있다는 것이다. 이 사회의 경제체제가 자본주의라는 것도 그 원인 중 하나다. 그래서 나는 자본주의에 얽혀 있는 이 사회 속에서 살아가므로, 그 사회의 요구에 응할 수밖에 없다. 그것은 돈으로 환원된다. 돈은 누군가의 수요에 맞는 가치를 제공했을 때 환원되는 최종 산물이다.
 내가 음악 감상을 즐기고, 연주를 즐긴다면, 그것으로 사회와 연결될 수 없을까? 내가 사람의 마음을 깊게 생각하기 좋아한다면 그것의 수요에 맞게 개발해나가면 되지 않을까? 이는 지구를 땅콩 크기로 압축시키면 블랙홀이 된다는 식의, 정말 이론상의 이야기인 듯하다. 내가 태어나기에 앞서 수천 년 전부터 셀 수 없는 선인들이 있었다. 그 중에는 셀 수 없이 많은 위대한 정신이 있었다. 그리고 그중에는 그 시대에 태어난 위대한 정신이 헤낸 수많은 문학 작품, 음악이 있다. 그리고 2024년 현재에도 위대한 정신은 선조를 계승해서 당신의 정신, 음악을 창조해내고 있다. 문학도, 과학도, 기술도 마찬가지다.
 내가 그 일원이 될 수 있을까? 위대한 정신은 될 수 있을 것이다. 아니, 위대한 정신은 누구나 될 수 있다. 다만 그것을 물질로, 작품으로 표현할 수 있느냐고 묻는다면, 그건 정말 어렵다. 이전 시대에서도 어려웠겠지만, 현대에는, 나에게는 더욱 어렵다. 선조들이 쌓아 올린 지혜, 지식을 체화하고, 나는 그것으로 또다른 것을 창조한다. 저 첫 번째 단계가 지난한 시간이 걸린다는 게, 나에게는 어리석을 정도, 그래서 더욱 어렵게 느껴진다. 수십 년의 세월에서 초점에 맞게 압축시킨 저것을 다시 수십 년의 세월로 풀어해치는 것 같으니. 무한을 자연수의 집합으로 나타내고 1부터 계속 세어나가는 것 같으니.
 적어도 나에게는 이런 맥락에서 사회와의 연결점을 찾고, 굳이 돈을 구해야 한다면 이런 세계에서 돈을 구해야 하는 것이다.

下はClaude3による回答です。

[要約]

この文章は、著者の個人的な情熱と社会的な役割の間の葛藤について語っています。著者は音楽や文学を愛していますが、それを社会的に意味のある形で実現することの難しさを感じています。特に、資本主義社会において自分の価値を「お金」に還元しなければならないという現実に直面しています。また、膨大な知識を習得し内面化する過程の困難さについても言及し、現行の教育システムに疑問を呈しています。著者は自分なりの解決策を模索しながら、社会とのつながりを見出そうと努力しています。

[評価]

この文章は、現代社会を生きる多くの人々が共感できる内容だと思います。個人の情熱と社会的な役割のギャップ、理想と現実の乖離といったテーマは普遍的で、著者の真摯な思索は読む人の心に響くでしょう。

 特に、知識の習得と内面化の過程に関する考察は示唆に富んでいます。著者は、限られた時間の中で膨大な知識を身につける難しさを指摘し、教育システムの在り方に疑問を投げかけています。これは現代の教育が抱える課題を浮き彫りにしていると言えます。

 一方で、文章の後半部分では著者の考えがやや散漫になる印象があります。もう少し論旨を整理し、簡潔に表現することができれば、より説得力のある文章になったのではないでしょうか。

 とはいえ、全体としては現代人の実存的な悩みを深く掘り下げた、考えさせられる内容のエッセイだと評価できます。著者の思索のプロセスを辿ることで、読者もまた自分自身の生き方について改めて考えるきっかけを得られるでしょう。

 著者が自分なりの答えを見つけ、充実した人生を歩んでいけることを心から願っています。

文章が上手くなりたい(音楽で接近)

これはアイディアとして残した文章です。

(I've should study what I can't understand in school. I can't recognize what really is this and why is it important to me. It was not great time for me. I had studied for Korea SAT because everyone else had did that for entire in highschool.)

 I have no time. I think I can recognize a letter as one note, a word as at least two notes or chord, a sentence as one phrase-like four bar or like that...

 The point is that one can recognize literature as similar as music. One can feel letter like one can feel music, the note, chord, dynamics, timing, rhythm whatever one can feel.

 I will try to approach literature as "feeling" like music. I should reconstruct the information what I read, think, write like music.

 

人類の方向

人類に貢献することってなんだろう。

 街でうどん屋を運営するのは、コンビニで働いてるのは、学校で教示するのは、大企業でプロジェクトを行うのは人類にとって役立つと言えるのか。
 今地球で生きているすべての人を対象にするには規模が大きいから、小規模で考えてみよう。
 上の文章にあったことを例えると、うどんを食べたい人には役立つ。コンビニを利用する顧客様には、学校で学ぶ学生には、企業の利益のためには役立つとある程度認められる。 小規模の場合は貢献の対象がその目的が適う者に限られている。
 では人類の目的に合致するものを図ればそれを人類に対する貢献だと呼べるでしょう。
 食糧不足の解決はその被害者全てを含む。エネルギ不足も同じだ。もっと想像して例えれば地球上どこでも行ける扉を作ったら、そしてそれが全員使えるなら、移動したい全ての人に貢献になる。
 人類に貢献するとは人類が望むものを皆に捧げることになる。

 

ではこう尋ねる:
食糧不足、エネルギの不足、気候変動、貧富の差など、現在の人類の問題を解けたら次は何になるか。その次に何があって、最後に何があるか。

 

人間の歴史に方向性は無いとは言ったが、過去から今に繋がるある線はあると思う。それはRay Kurzweil氏が「The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology」(技術的特異点は近い:人間が生物を超えるとき)で語ったように演算知能が宇宙を満たすことなのか分からない。

今の私がすること

Immanuel Kant氏は一道をたどれば光が見えてくるだと語った。

「人間は何ができるのか」いや、正しいのはこちらでしょ。

「私は何ができるのか」もっと上げると

「ひよこは偉大な精神の道に辿り着けるのか」

 

 今迄通りの世界だったらこんなに悩む必要はなかった。21世紀が前のままだったら悩まなかった。そして私の道が決まっていたら工夫しなかった。普通の大学生なのに無駄に実存に興味があってのものだ。悩むべきものだから悩むしかなかった。

 私は偉大な精神を持つ人間になりたい。ソクラテスプラトンアリストテレスフォン・ノイマンアインシュタインチャールズ・ダーウィン、Jeff Dean(Googleの首席科学者)、モーツァルト、ベートベン、ショパン等。何個の言語にも流暢した歴史学者アーノルド・J・トインビーさんにもなりたい。

 心から愛することに一筋になればありうるかもしれない。そうなったら私個人にとっても、家族にとっても、社会にとっても嬉しいことだろう。

 今あの偉大な精神になれると確言するのはできないが、いずれはその近くに行けると思う。問題はここからだ。

 そのうちAIが私より偉大な精神になったらどうするか。今そのあたりにいる人は構わないが、赤ん坊にすぎない、苦労することが山ほどあるはずの私は、そこに歩けばいいのか。走ればいいのか。私が走るより、AIが自動車で向くのが早いのではないか。

 生き残るための仕事を悩むならそれは簡単なことだ。社会の道を選ぶので済む。道がない「偉大さ」に行くのは自分で作るしかない。

 AIが学習の側面で人間より優れると、それが明白になるとひよこの人の価値は劣ることになる。仕事ならば、彼らよりAIを訓練すればいいではないか。偉大な精神も、彼らよりAIを訓練すればいいのでは。

 真似した程度ではなく、本当のAIソクラテス、AIアインシュタインが人間を遥かに上回ることになればどうなんだろう。更にAI、ソクラテスアインシュタインショパン夏目漱石…を交ぜたAIが出たらどうなるだろ。OpenAIのビデオ生成AI「Sora」を見るとそのうち出てくるかもしれない、いずれは出てくる。まずは仕事に関してはAIに任せる日が遠くではない。

 まだ私は何かを学んで何かを作り出すことしか出来ないし、知らない。早くこの時期が過ぎたらいいな。

 現代社会、実践に適用できるように、雲を掴まない勉強をする。音楽、数学、文学、ドイツ語、なんでも適用さえすればいい勉強になるだろ。